偉人伝・ナポレオン1世#12
参考文献
神野正史著「世界史劇場 駆け抜けるナポレオン」
大学受験で世界史を選択した方ならもしかしたら聞いたことがあるもしれない「神野の世界史」シリーズ、その中から前回に引き続き英雄つながりということでナポレオン・ボナパルトをとりあげてみたいと思います。
卓越した戦術で多くの戦果をあげたナポレオン。イタリアに近いコルシカ島で生まれたためフランス語がうまく話せず、陸軍幼年学校や士官学校時代はいじめられっ子であったと言います。さらに体も小さく、独りで黙々と読書に没頭する少年でした。貧しい家計を支えるために軍人をしていたナポレオンですが、将来は小説家になりたいと考えていたようです。19歳の頃にフランス革命が勃発し、23歳の頃にルイ16世が処刑されるのですが、特に彼が何か影響を受けたわけではなく、当時陸軍大尉だったその職を放り出して地元に帰ってしまうような青年でした。
なんとかフランスに戻り、職務復帰することができたナポレオンですが、家族を養わなければならないことに焦燥感を覚えたのか、この頃から積極的に動きはじめます。
そんな時、トゥーロン要塞という難所に赴任されたナポレオンが、総司令官と大激論の末自らの作戦案を採用してもらい、そこで自らも足を負傷しながらも大勝利をおさめます。誰が攻めても落とすことのできなかった要塞を、わずか1か月足らずで陥落させたこの功績が認められ、一気に少将まで大出世を遂げます。これがナポレオン英雄物語の第一幕になったことは疑う余地もありません。
その後は大罪を受けるはずだったのにも関わらず伝播するスピードが遅かったために軽い罪で済んだなどといった幸運、そしてフランス革命後の国民公会という現在の政府のようなものが腐敗しきっていて民衆の不満が頂点に達しようとしていた世相ともあいまって、若くて優秀な軍人ナポレオンは国民の支持を受け、順調に出世を遂げます。その勢いのままに他国籍軍とも大戦争を繰り広げ、多くの戦果をあげました。6度にも渡る対仏大同盟が結成されたことからも、当時のフランスの強さを窺い知ることができます。
皇帝にまでのぼりつめたあとにロシア遠征に失敗、セントヘレナ島にて幽閉されるのですが、そのあたりの話はご存知の方も多いと思うので割愛します。
人生とは、何がどうなるかわからない。そしていろんなものを味方につけることができれば、人はいつからでも変わることができる。最後は不遇の死を遂げるのですが、ナポレオンは知れば知るほど、若者に勇気と希望を与える存在ではないかと、僕は思います。
次回は予想以上に数多く存在する、ナポレオンが現代に遺すものについて書いてみようと思います。