偉人伝 ラリー・ペイジ①#31
「天才」という称号が世界に1人しか与えられないとしたら、今ならこの人物にこそふさわしい。そう思いました。
Googleの創業者にして、謎の多い人物であるラリー・ペイジ。大学で人工知能を研究する父と、同じく大学でプログラミングを教える母の間に生まれました。生まれながらのサラブレッドです。
その才能は、早くも6歳の時に片鱗を見せ、パソコンを使ってタイピングをしていたと言います。手書きでプリントを作成するのが当たり前だった時代に課題をプリントアウトして提出していたため、先生が面食らったというような逸話も残っています。
そして12歳の時にニコラ・テスラの人生を知って涙します。「どんなに偉大な発明も、多くの人に知られなければ意味がない」というのがその理由で、ここからペイジはビジネスにも視点を持つようになります。ニコラ・テスラとは時代を代表するような天才だったにもかかわらず、トーマス・アルバ・エジソンの陰に隠れて不遇の生涯を送った人物です。
世界有数の大学であるスタンフォード大学の大学院に進学。しかし在学中に後の相棒となるセルゲイ・ブリンと出会い、修士号を取得後に大学を休学。Google社を設立するのです。この時ペイジ、まだ25歳です。
Googleの語源はGoogolという言葉から来ていて、10の100乗という意味です。世の中の人が、膨大な情報に一瞬でつながるようにという想いを込めて名付けたようです。元々「グーゴル社」としようとしてGoogolと登録しようとしたのですが、これの綴りを誤ってGoogleとしてしまったために「グーグル社」が誕生しました。天才でもこんな失敗するんだ、となんだかホッとするエピソードですね。
Googleがいかにして巨大企業に成長したか、大きく分けて2つの戦略があったようです。
1つは、検索の正確性を高めるために「リンクが多くされているページに上位性を認める」というもの。これは優秀な論文はたくさん引用されるというところからヒントを得たそうです。
そしてもう1つは、Googleを介して検索したら少しだけキックバックする、いわゆるアフィリエイトの仕組みを作ったことです。これは12歳の時に読んだニコラ・テスラの人生から学んだことであるのは想像に難くありません。どんなに優秀なものでも知られなければ意味がない、その信念を感じさせるような発明です。
そうやって順調に成長を続け、Google設立わずか2年、ペイジ27歳の時にGoogleは世界ナンバーワンのシェアになります。そしてCEO(最高責任者)の座をエリック・シュミットに譲ってしまうのです。
我々日本人の生活にまで深く入り込んでいるGoogleという企業、世界ナンバーワンのシェアを獲得したにもかかわらず、さらなる成長を遂げるのです。