偉人伝 ラリー・ペイジ②#33
さて、僅か2年で検索シェア世界第1位となったGoogle。ちなみに日本で検索することを「ぐぐる」というようですが、アメリカでは現在googleという言葉は「検索する」という動詞として認定されているようです。日本人はこの事実を知っていて「ぐぐる」と言い始めたのでしょうか。なんだかとても気になってしまいました。
しかしながら検索業界ては世界1位でも、この段階では決して利益率の高いビジネスとは言えませんでした。
そこで多額の融資を受けようとしたのですが、「若すぎるから」という理由で融資を見送られます。そういうことならと当時40代半ばであったエリック・シュミットにCEOを譲り、自身は新事業開発へと着手し続けていくのです。ペイジ、セルゲイ・ブリン、そしてシュミットという三頭体制がここに誕生します。
このシュミットとの出会いがとても面白く、バーニングマンというお祭りへの参加が共通の趣味で出会いました。バーニングマンとは一言で言えば「何でもあり」という祭りで、GIVE&GIVE&GIVEという精神のもとで開催される奇祭として知られています。条件としては、お金が使えないこと。人に与えまくるという、なんとも言えない世界観の祭りです。
Googleのロゴが記念日等でデザイン変更されたものをdoodleと呼ぶそうですが、これの記念すべき1つ目はこのバーニングマンのものだそうです。「バーニングマンに参加しているので対応は後日になります」という意味が込められていたそうです。
少しバーニングマンの説明が長くなりましたが、話を戻します。
おそらくたくさんの人が使っているgmail。当時のフリーメールは1か月間以上受信メールを保存することができませんでした。そんな時に一気に期限なしで1GBを提供。これは当時のMicrosoftの500倍、Yahooの250倍に相当します。
そして何より、地図業界とのコラボレーションがGoogleの地位を不動のものにしました。「地図を制す者は戦争を制す」という言葉があります。まさにGoogleは最強の武器を手に入れました。地図×検索がいかに便利かは現代人なら理解することは容易であると思います。
その後動画大手のYouTube、そしてスマートフォン販売業者であるAndroidをも傘下に収め、プラットフォームとして不動の地位を築き上げました。ちなみにgmailはsparrow、Google mapやGoogle earthはキーホールという会社とのM&Aにより実現した新規事業でした。
そしてペイジ38歳になった時、「もう後継人はいらない」というシュミットの言葉とともにペイジはGoogle社のCEOに復帰します。その後Googleをも傘下におさめ、HD化するために株式会社alphabetを設立。最高責任者に就任します。
まさに最強。失敗らしい失敗が全くみえないラリー・ペイジ。近年では空飛ぶ車や医療業界に興味を示していると言われています。
世界の人々を世界とつなげたいという思いで設立されたGoogle社ですが、その設立者自身であるペイジの私生活は謎に包まれ、ほとんどのことがよくわかっていません。カリブ海の島を保有し、そこに住んでいるらしいというくらいしか我々には知ることができません。公の場にも現在ほとんど登場することのないペイジ。まだまだ新しいことを考えているのやもしれません。およそ誰もが到達し得ない境地にいるラリー・ペイジ。今度はどんな分野で我々を驚かせてくれるのでしょうか。
その時がくるのを、僕は楽しみにしています。そしてペイジが与えてくれるサービスを最大限に活かし、自らの生活を楽しいものにしていきたいと思います。