大宮立志塾  埼玉県さいたま市(大宮・浦和)の柔道クラブ

 生徒それぞれの目標に応じて指導、大会にも積極的に参加しています

IMG-1922 (2)

HOMEブログページ ≫ 現代史・自民党③#56 ≫

現代史・自民党③#56

竹下登と激しく対立することになった小沢一郎は、自民党を離党。8党連立という離れ技をやってのけて自民党から政権与党の座を奪取することに成功しました。当時好感度の高かった細川護煕を首相に据えることで基盤作りにかかります。

 

しかし細川は佐川急便の社長からの収賄疑惑がかかり失脚。いわゆる佐川急便事件です。小沢と一緒に自民党を離党した羽田孜が次期首相に就任します。

 

なんといっても8党連立という、いわゆる船頭の多すぎる船。うまくいくわけもなく、小沢独裁に異を唱えるものが羽田首相の頃から噴出してきます。

 

ここに目をつけた竹下率いる自民党。連立政権の中でも多数派であった社会党に目をつけ、社会党の村山富市を首相に就けるという条件までつけて政権与党復帰を画策するのです。長らく政権与党であった自民党議員がこの時期に学んだこと。それは野党の厳しさであったと言います。連日のように訪れていた訪問者はぱったりと途絶え、政治資金獲得も困難を極め、党事務所全体に活気がなくなってしまったそうです。なんとしてでも政権奪取をという自民党の必死さが、55年体制と言われ常に対立してきた社会党と手を組むという行動に表れています。

 

かくして政権奪取に成功した自民党。村山を経て橋本龍太郎、小渕恵三という経世会出身の首相が続きましたが、まだ盤石とは言い難く、当時の参議院は野党が過半数を占める状態、いわゆる「ねじれ国会」でした。

 

ここで小渕が提案したのが公明党との連立。自民党と公明党もお互いを激しく批判し合うような間柄でしたが、政権を盤石にするにはこの方法がベストだという選択をしたようです。しかしながらあまりにもあからさまなこの連立に、世間の非難を恐れた小渕は小沢率いる自由党も連立政権に加えることを考え、そして成立させてしまいます。いわゆる「自自公連立」という時代です。

 

小沢つぶしのために動いてきたこの作戦に、小沢を味方に引き入れるという、およそ政治家でなければ理解できないこの策ですが、政治家というのはこのくらいのことができないと務まらないようです。

 

竹下登の子飼いであった小渕と、強烈な野心の塊であった小沢、うまくいくわけがなく、2人は幾度となく衝突します。そしてその最中、小渕は体調不良で任期満了を待たずに入院してしまいます。

 

ここで次期首相に就いたのが森喜朗。三木武夫、宇野宗佑のようなワンポイント首相のような形で就任した森ですが、失言等も多く国民の支持を得られず早々と失脚。いよいよ竹下再選かという雰囲気の中、なんと竹下が病死してしまうのです。

 

竹下の死去、これが派閥政治の終わりを予感させるようになります。ここで動いたのが「YKK」と言われた加藤紘一、山崎拓。野党が提出した森首相不信任案に賛成すると公言し、自らの政権獲得を目指します。これを「加藤の乱」と言い、これは結局多数の造反者が出て失敗に終わります。つい最近、吉本興業所属の芸人さんがギャラ問題を巡って発言、行動したことが話題となりましたが、あの時に使われた「加藤の乱」という言葉はこの事件のパロディになります。

 

そんな動乱の時代に首相の座を獲得したのが、「自民党をぶっ壊す」というフレーズで話題となったYKK最後の1人、小泉純一郎です。細川時代に小沢が変えた中選挙区制から小選挙区・比例代表並立制に変えたことを追い風に自分の推薦する人物を多数擁立、当選させました。「小泉チルドレン」と呼ばれ、この時に派閥政治は完全に終焉を迎えます。

 

そして現在は、いわば「世襲議員の時代」です。政治家に必要なものは「看板(知名度)、かばん(お金)、地盤(人気)」と言われますが、その全てを生まれながらに持っている2世議員は推薦しやすいわけです。前首相も岸信介の孫であり、安倍晋太郎の子であるというサラブレッド。失言等が目立つ麻生太郎は吉田茂の孫にして鈴木善幸の子を妻に持つという、これも政治家に必要なものを全て生まれながらに持っている家系です。かつてかばんを持たなかった田中角栄はじめ野心を持つ議員の多くは資金集めに必死な挙げ句、グレーゾーンに足を突っ込み失脚することになりました。今でもその類の話はなくなることはありませんが、まぁ規模というかスケール感は当時を知っている人からすれば小さいようです。

 

かくして自民党は、長年にわたって一強の時代が続いていますが、派閥闘争があったことで他国の二大政党制のような雰囲気を持ち、その中で国民の意見を吸い上げていくという側面がありました。その時代は党首ではなくても、党の有力者の推薦があれば立候補することが可能でした。現在のように小選挙区制という、党首の推薦がなければ立候補すらできない選挙制度は、イエスマンばかりを生み、党の意向に反対しにくいという負の要素もあります。ちなみに現在も派閥は完全に消滅したわけではなく、福田赳夫の流れを汲む森、小泉等を輩出した清和会、竹下が田中派の多くを囲い込んで作った経世会、池田勇人、大平正芳の流れを組む宏池会が三大派閥と言われています。

 

願わくば突拍子もないような変人が現れ、また新しい政治の流れを作って欲しいななどと、新首相誕生の報道を見ながら思った、秋の1日でした。

2020年09月17日 15:39

大宮立志塾

大宮立志塾

048(607)5821

事務所所在地
埼玉県さいたま市見沼区
中川132-1
練習場所:浦和駒場体育館
埼玉県さいたま市浦和区
駒場2-5-6
ポゴナクラブジムさいたま
埼玉県さいたま市北区
宮原町4-7-11

塾概要こちらから

モバイルサイト

大宮立志塾スマホサイトQRコード

大宮立志塾モバイルサイトへはこちらのQRコードからどうぞ!

お気軽にご相談ください
048-607-5821

受付時間 8:00~22:00