偉人伝 カーネル・サンダース#62
参考文献:カーネル物語(the tale of Colonel Sanders)
日本人からも親しみをこめて「カーネルおじさん」などと呼ばれる、お馴染みのこの人物。調べてみるとかなりの苦労人であり、現代人も学ぶべきところがたくさんある偉人でした。
そもそも「カーネル(Colonel)」というのは、軍の階級の「大佐」を意味します。しかし彼は大佐だったわけでも、カーネルという名前だったわけでもありません。ケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉階級だったそうです。正しくはハーランド・デービッド・サンダースと言います。父親を幼少期に亡くし、母親が1人で育てていました。弟と妹がいたサンダースは6歳から料理を始め、10歳のときには農場に働きに出る少年でした。学歴といえば小学校の修了書だけです。
学校は14歳で辞め、独学でいろんな仕事に就きました。市電の車掌や鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々としました。16歳の頃には軍人としてキューバに赴任しています。
一言に言って、かなりの苦労人でした。さらに30代後半にはガソリンスタンドを経営していましたが、恐慌の影響を受けて倒産しています。
サンダースの最も大切にしている信念に、「他人にサービスを一生懸命する者が、最も利益を得る人間である」というのがあります。ガソリンスタンドを経営していた当時も注文を聞く前に窓を洗い、ラジエーターの水量を確認していました。
倒産後、再びスタンド経営をはじめたサンダースは、スタンドを利用したお客さんからのすすめで物置を改造して「サンダース・カフェ」を始めます。サンダースはスタンドの支配人、レストランの調理師、レジ係を兼任するという、なんとも多忙な日々を送りました。
サンダースの店はケンタッキー州の幹線道路であった国道25号線に面しており、店は大繁盛しました。店の規模を拡大し、「州の料理への貢献」が認められ、「ケンタッキー・カーネル」の称号を与えられました。
当時サンダース45歳。ようやく成功を掴んだように見えました。