ガソリンスタンドはサービスの良さ、カフェは料理のおいしさで繁盛していました。
しかし、高速道路が近くにできてしまい交通量が減り、さらに大恐慌と天候不良も相次ぎ、周辺の農民のガソリン代の売掛金の未収金が増えてガソリンスタンドは倒産してしまいます。
しかし、「サンダース・カフェ」だけでも、と140以上の席数の規模に拡大することに成功します。しかしせっかく再現したサンダース・カフェも、なんと火災で焼失してしまいました。
しかしサンダースは諦めることなく、同じ規模で再建を果たすことに成功します。この建物は現在、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されています。
ここまでの彼のヒストリーをみてもわかる通り、サンダースは諦めるということを知らず、何度でも立ち直りました。そしてそんな頃に完成したのが、現在も多くの人に愛される秘伝のオリジナル・レシピでした。そう、「サンダース・カフェ」の目玉商品はフライドチキンだったのです。
サンダースは、度重なる災難の影響もあり、たくさんの負債を抱えていました。サンダース・カフェも倒産を余儀なくされてしまいます。ここで考えついたのが各地のレストランの経営者や従業員にフライドチキンの調理法を教えて売れたチキン一羽につき5セントを得るという新しいビジネスモデル、現在のフランチャイズでした。このときサンダース、なんと65歳。この年、ソルトレイクという街のピート・ハーマン という人が最初のパートナーとなり、フランチャイズ1号店が開業しました。ちなみに「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)というブランド名は、このときハーマンによって提案されたものだそうです。
フライドチキンをワゴン車に詰め、アメリカ中を走り回るサンダース。失敗も多かったそうです。たしかに70歳近い老人の飛び込み営業は、なかなかうまくいくイメージが持てません。なんと1000回以上もNOを突きつけられたと言います。しかしサンダースはやはり諦めず、サンダースが73歳の頃には600店舗にまで拡大するのです。
後の発展は、日本人ならご存知のとおりです。「ケンタッキー・フライドチキン」は今や世界125か国で約20,000店舗を展開するほどの世界的企業となりました。
アメリカンドリームというと、若くして成功した天才たちのものであると思いがちですが、60歳過ぎてからでも夢を追いかけることはできる。何より「世界中の人々に、おいしいものを届けたい」という情熱が、サンダースを成功へと導いていったのではないかと思います。
人はいつからでも、何者にでもなれる。サンダースの人生は、現代人にそう教えてくれているような気がしてなりません。
2020年10月15日 15:29