大宮立志塾  埼玉県さいたま市(大宮・浦和)の柔道クラブ

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大宮立志塾 活動日誌

偉人伝・大谷吉継#15

参考文献

花ヶ前盛明著「大谷刑部のすべて」

山元泰生著「大谷吉継」

 

以前紹介した坂本龍馬、ナポレオンよりは知名度は劣るので、軽く説明しておきます。

 

大谷吉継は、戦国時代の武将であり豊臣秀吉の家臣、一国一城の主にまで出世を遂げた人物です。秀吉の天下統一までの道のりには欠かせない人物で、小田原征伐や九州平定、朝鮮出兵に至るまで重要な役割を担当します。

 

関ヶ原の合戦の西軍の将といえば、言わずと知れた石田三成。この石田三成と大谷吉継は親友であったという記録が残っています。2人とも計算能力が高く、豊臣秀吉存命中に一緒に仕事をすることが多かったことで友情を育んでいったようです。

 

その三成に、徳川家康を相手に兵を挙げようとしていることを打ち明けられます。大谷吉継は徳川家康とも親交があり、2人の器量の差も見抜いていました。三成は損得勘定をもって人を動かすのは上手だが、人徳というものは持ち合わせていない。徳川家康と対峙しても、おそらく勝ち目はない。吉継は何度も三成に踏みとどまるように説得します。

しかし思いは届かず、三成は挙兵することを決意する。ここで戦国時代の常識ならば、吉継は家康側につくのが普通です。しかし吉継は三成につくのです。

 

親友の気持ちを変えることができなかったのなら、せめてその気持ちを側で支えてやりたい。目を患い、病をかかえていた自分を受け入れてくれた友達を見捨てるわけにはいかなかった吉継は、現代の日本人が理想とする侍魂を持った人物であると、僕は思います。その後吉継は関ヶ原で自刃を遂げ、36年という短い生涯を閉じます。大河ドラマとかになっても画になりそうな人生です。

 

秀吉に重用され、一緒に湯治に行った記録が残っていたりするあたり、能力の高さは間違いのないところです。持病さえなければ、もっと活躍できたのではという学者も多いようです。能力もあり、眼力も持ち合わせ、それでも義理を貫き通した大谷吉継。現代の日本人は、彼にこそ学ぶべきところがたくさんあると、そう思います。

2020年06月04日 08:00

電波の歴史〜5G時代の到来〜#14

参考文献

井上伸生著「電波と光のことが一冊でまるごとわかる」

明豊「FUJITSU journal  2017.12.21号」

 

6月になり、少しずつ生活も元の形に戻ってきている方も多いのではないでしょうか。人とのつながりがこんなに大切なのか、という実感を持つ良い期間だったのではと、個人的には振り返っています。

 

さて、自宅待機の期間にリモートワークをしていた方もたくさんいらっしゃると思います。以前から一部の優秀な経営者や、決まったオフィスに出社しないで仕事するノマドワーカー(nomad worker)という方はいましたが、ここまで大人数がリモートワークに取り組んだということはなかったはずです。

 

その際にほぼ100%の人間がお世話になったのが電波の存在です。そもそも電波とは何なのか。電気とも違うし、音とも当然違う、電波について調べてみました。

 

電波は、人類誕生以前から自然界に存在していました。恥ずかしながら、僕は人類の発明かと思っていました。

例えば、雷や摩擦電気の火花放電でも電波は発生します。また、太陽や宇宙空間からも、様々な周波数の電波が地球へ届いています。

 

しかしながら人類は電波の存在を知る前までは、電波を生活の中で利用することはできませんでした。

 

1888年にドイツの物理学者、ハインリッヒ・ヘルツが電磁波の存在を実験で証明しました。しかし発見当時はその価値を見出すことができず、何十年も前にマックスウェルのいう学者が発表した方程式の実証にすぎないと考えていたそうです。ヘルツは23歳で博士号を取得するほどの優秀な物理学者でしたから、もしかしたら「当時の技術力では電波の利用は難しい」と考えていたのかもしれません。

 

人類が電波を利用しはじめたのは、1895年にイタリアの発明家であるマルコーニが無線電信を成功させたのが最初です。当時は音声通話、いわゆる電話網がすでに発達していたため、無線での情報伝達はそこまで普及しませんでした。ここでお気づきになったかもしれませんが、携帯電話といわゆる固定電話は、伝達手段が全く違います。固定電話は電話線というものがある、いわゆる有線での通信手段です。電話と一括りにされますが、実は似て非なるものなのですね。

 

日本ではどうだったかというと、1925年にラジオ放送が、1953年にテレビ放送が、2003年には地上デジタルテレビ放送が開始され、電波は文化の発展に大きく貢献してきました。

 

一方、ポケットベルサービスや自動車電話サービスを経て、現代には欠かせない携帯電話サービスへと発展していきます。

 

アナログ形式の、いわゆる音声通話のみだった1G(第1世代)、メール添付ができるようになった2G、画像の送受信が可能になった3G、そして静止画だけでなく動画の配信、受信が可能になった4Gと、目覚ましい進化を遂げてきました。

 

そして現在、時代は5Gへ進化しようとしています。いや、もう既にすぐそこまでやってきています。5Gとは、「スマートフォン意外のものにアプリケーションを搭載する技術」といえます。自動車の自動運転技術や無人タクシー、はたまた遠隔での医療活動への利用など、僕が想像つかないようなことができるようになりそうです。無論スマートフォンも進化を遂げ、形を変え、現代では高い負荷のかかる長時間動画をわずか数秒でダウンロードできてしまうと言われています。

 

現在は、誰もが、いつでも簡単に電波を利用したシステムを使うことができるようになり、私たちの生活に欠かせないものになっています。個人的に以外に思ったのは、電波の利用ができるようになったのは、意外と歴史が浅いということです。まだまだ可能性を秘め、僕が想像もつかないような技術が開発されるのでしょうか。時代に取り残されないように、感度を高くしておきたいと思います。

2020年06月02日 08:12

ナポレオン1世が遺したもの#13

・ナポレオン法典

まず第1に挙げたいのがナポレオン法典。なんとフランスでは現代においても運用されています。各国に多大な影響を与え、日本でも現在の民法がナポレオン法典を元に作られています。

 

・瓶詰

軍用食として、保存可能で持ち運びのできる食糧の開発に積極的に取り組んでいました。その結果ニコラ・アベールという人が開発した瓶詰を採用しました。瓶詰はそこまで普及しなかったものの、その後開発された缶詰は現在にまでつながる大流行をみせます。

 

・右側通行

フランスに征服されたヨーロッパ諸国は、現在においても右側通行です。支配されなかったイギリスは、日本と同じ左側通行です。現代でもヨーロッパ車の中で、イギリス車だけが基本右ハンドルで、それ以外のヨーロッパ諸国産の自動車は左ハンドルですね。

 

・製糖技術の発展

イギリスへの経済政策という意味合いで大陸封鎖令を発令した結果、砂糖の価格が暴騰し、ビートといわれる砂糖大根からの製糖技術が飛躍的に発展しました。

 

あと有名なのはナポレオン語録とも言うべき言葉の数々。いろんな言葉を遺しているあたり、幼少期の読書や小説家になろうとしていた片鱗が出ているのかもしれません。

 

・余の辞書に不可能という文字はない

あまりにも有名なこの言葉ですが、後世の人間の創作ではないかともいわれています。もし実際に語っていたとしても「不可能という文字はフランス的ではない」と訳されるようです。

 

・子どもの将来はその母の努力によって定まる

・わたしは百万の銃剣よりも、三枚の新聞紙を恐れる

・最大の危険は勝利の瞬間にある

・戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる

 

いずれも現代にも通用する言葉ですね。2つ目は「三枚の新聞紙」というよりは「三行のSNS」というところでしょうか。

 

戦争に明け暮れた結果フランスの全人口にも影響を与えるほどたくさんの命を奪うきっかけになったり、40歳を超えてから糟糠の妻をそっちのけで若い女性と結婚したりと、暴君ぶりを発揮した一面もありますが、それでもナポレオン1世の遺した功績は大きいと思います。家族を養うという強い決意から自らの人生を大きく動かしたナポレオン1世。その姿に共感や憧れをもっている人も多いからこそ、現代まで語り継がれているのかもしれません。

2020年05月30日 10:23

偉人伝・ナポレオン1世#12

参考文献

神野正史著「世界史劇場 駆け抜けるナポレオン」

 

大学受験で世界史を選択した方ならもしかしたら聞いたことがあるもしれない「神野の世界史」シリーズ、その中から前回に引き続き英雄つながりということでナポレオン・ボナパルトをとりあげてみたいと思います。

 

卓越した戦術で多くの戦果をあげたナポレオン。イタリアに近いコルシカ島で生まれたためフランス語がうまく話せず、陸軍幼年学校や士官学校時代はいじめられっ子であったと言います。さらに体も小さく、独りで黙々と読書に没頭する少年でした。貧しい家計を支えるために軍人をしていたナポレオンですが、将来は小説家になりたいと考えていたようです。19歳の頃にフランス革命が勃発し、23歳の頃にルイ16世が処刑されるのですが、特に彼が何か影響を受けたわけではなく、当時陸軍大尉だったその職を放り出して地元に帰ってしまうような青年でした。

 

なんとかフランスに戻り、職務復帰することができたナポレオンですが、家族を養わなければならないことに焦燥感を覚えたのか、この頃から積極的に動きはじめます。

そんな時、トゥーロン要塞という難所に赴任されたナポレオンが、総司令官と大激論の末自らの作戦案を採用してもらい、そこで自らも足を負傷しながらも大勝利をおさめます。誰が攻めても落とすことのできなかった要塞を、わずか1か月足らずで陥落させたこの功績が認められ、一気に少将まで大出世を遂げます。これがナポレオン英雄物語の第一幕になったことは疑う余地もありません。

 

その後は大罪を受けるはずだったのにも関わらず伝播するスピードが遅かったために軽い罪で済んだなどといった幸運、そしてフランス革命後の国民公会という現在の政府のようなものが腐敗しきっていて民衆の不満が頂点に達しようとしていた世相ともあいまって、若くて優秀な軍人ナポレオンは国民の支持を受け、順調に出世を遂げます。その勢いのままに他国籍軍とも大戦争を繰り広げ、多くの戦果をあげました。6度にも渡る対仏大同盟が結成されたことからも、当時のフランスの強さを窺い知ることができます。

 

皇帝にまでのぼりつめたあとにロシア遠征に失敗、セントヘレナ島にて幽閉されるのですが、そのあたりの話はご存知の方も多いと思うので割愛します。

 

人生とは、何がどうなるかわからない。そしていろんなものを味方につけることができれば、人はいつからでも変わることができる。最後は不遇の死を遂げるのですが、ナポレオンは知れば知るほど、若者に勇気と希望を与える存在ではないかと、僕は思います。

 

次回は予想以上に数多く存在する、ナポレオンが現代に遺すものについて書いてみようと思います。

2020年05月28日 09:34

偉人伝・坂本龍馬②#11

坂本龍馬が偉人として後世に語り継がれるようになったのはなぜなのか?これを自分なりに考察してみます。

 

まずなんといっても、大政奉還(政権を幕府から天皇に返還すること)の草案となった「大条理」プランの作成が挙げられます。これについては土佐藩の重役、後藤象二郎が藩主である山内容堂に提案し、容堂が江戸幕府に提案したとされていますが、この発案者は坂本龍馬であること言われています。世界に恥じることのない日本を作り上げることを第一の目的とし、当時幕府と朝廷のダブルスタンダードであった政令二途の状態を改めようと考えました。

江戸時代後期は欧州列強諸国は日本を1つの国として捉えておらず、このあたりにも幕府の弱体化が窺い知れます。この「大条理」プランが廃幕を目指す薩摩藩の方針と一致し、これが薩土盟約へと繋がっていきます。幕府を有力な諸侯として残す大政奉還論の土佐藩、武力で幕府を討伐するという武力派の長門藩(長州)、ダブルスタンダードでどちらか良い方策に乗っかっていこうという薩摩藩、このように様々な思惑を胸に秘めながらも、明治維新を起こす戦力が整いました。歴史に「たら、れば」は禁物ですが、もしかしたら明治維新がなされなかったならば日本も他のアジア諸国と同様に植民地支配をされるという歴史をたどったかもしれません。おおげさでもなんでもなく、坂本龍馬は当時の日本を救った救世主であると僕は思います。

 

坂本龍馬がなぜみんなが思いもつかなかった発想を持つことができたのか。これはひとえに「聞く耳」を持っていたことに起因します。いろいろな人と出会い、話を聞き、見聞を深めていくことで龍馬流の思想、哲学が完成したのではないでしょうか。土佐藩に住んでいた時には佐々木象山や河田小龍、江戸に出てきてからは勝海舟に師事したことは有名です。そして人の話に素直に耳を傾ける姿勢が多くの人との出会いを生み、明治維新に関わる多くの人間が坂本龍馬と交流を持つという結果となりました。治外法権の撤廃に成功した陸奥宗光も若いときに坂本龍馬と交流し、影響を受けたとも言われています。

 

「人たらし」というと豊臣秀吉が有名ですが、僕は坂本龍馬も歴代屈指の人たらしであると思います。身分の上下に関係なく、はては自分と考えが違う人間までを自分の方に引き込んだ。坂本龍馬に魅せられた人々が、多少の話の誇張を加えて後世の人に語り継いだ。坂本龍馬の人間力に魅せられたのか、越前藩の松平春嶽や薩摩藩の小松帯刀、土佐藩の後藤象二郎など、龍馬に出資した人物は数知れず存在します。

 

信用や魅力、影響力があれば、物資は必ず調達できる。

 

坂本龍馬がもし後世の人物に語りかけることがあるならば、それを1番伝えたいのかもしれません。

2020年05月26日 09:51

偉人伝・坂本龍馬①#10

参考文献

司馬遼太郎著「龍馬がゆく」

町田明広著「新説 坂本龍馬」

 

この混沌とした時世だからこそ、人々の心をつかんで離さないようなヒーローをみんな待っているような気がしています。

 

そんなことを考えていたときに、1番に頭に浮かんだのが明治維新の立役者と言われる坂本龍馬です。一介の郷士(武士の身分をお金で買った家系)であった坂本龍馬が、どのようにして英雄となりえたのか、ちょっと調べてみました。

 

すると、小学生の時に読んだ伝記や、歴史漫画などで覚えた坂本龍馬像と少し違っていました。研究が進むにしたがって事実が明らかになっていく。以前教えてもらった内容と全く違う事実が判明する。こういうところも歴史のおもしろいところです。

 

まず知らなかったのが、坂本龍馬は2度目の脱藩以降、その多くの活動を薩摩藩士として行っていたということです。土佐藩を脱藩して、浪士の身分で様々なことを成し遂げたようなイメージを持っている方も多いかと思いますが、浪士というのは現代で言うところの国籍不明、住所不定のようなものです。

そのような人物が藩の要職に就いているような人物と謁見するなどということは、身分制度が厳しい江戸時代では現代よりも難しいことでした。つまり、いっぱしの身分でないとそういった交流もできなかったということですね。薩英戦争で多くの志士を失った薩摩藩と金銭的なことも含め後ろ盾がほしい坂本龍馬たち土佐浪士、利害関係が一致したというのが理由だったようです。

 

坂本龍馬の1番の功績と語り継がれているのが薩長同盟の橋渡しの役目を果たした、もっと言うと薩長同盟を発案したのが龍馬本人だとも言われています。しかしながら近年の研究により、これは全くの創作であることがわかっています。そもそも薩長同盟というものはなく、それに似たような約束が微妙に交わされただけのようです。当時長州は幕府に真っ向から対抗しており、西国の雄藩であった薩摩藩と手を組みたいと考えていました。薩摩藩の藩主も幕府を解体させなければという考えを持っていたのですが、やはり表立って幕府と反目はしたくない。したがって真っ向から幕府と反目する長州と手を組むことにかなり慎重になっていました。事実何度も意見のすり合わせのために薩摩藩と長州はやりとりをするのですが、その際毎回薩摩藩側から派遣されていたのが坂本龍馬というわけです。最終的に長州側の桂小五郎が押し切る形で薩長は手を結ぶのですが、その際の証人として、特に長州側が坂本龍馬を大切に扱ったというのが真相なようです。

 

日本最古の株式会社といわれる亀山社中というものも存在しなかったり、日本の将来とるべき道を船の上で語ったといわれる船中八策もフィクションということでほぼ固まりつつあるようです。

 

ここまで書くと、ずいぶん坂本龍馬は持ち上げられて後世に語り継がれています。しかし、星の数ほどいた維新の志士の中で、なぜ龍馬がクローズアップされたのでしょうか。

これにもきちんと理由がある。僕はそう考えています。

 

本来なら1回でまとめたかったのですが、どうにもまとまらないので今回が「坂本龍馬、過大評価編」、そして次回を「坂本龍馬、真の功績編」と内容を分けて、書き綴っていきたいと思います。

2020年05月23日 08:58

感染症の歴史から学ぶ#9

参考文献

national geographic 2020.04.08版

アルベール・カミュ著「ペスト」

加藤茂孝著「人類と感染症の歴史」

 

このたび世界を混乱に陥れたウイルス性新型肺炎ですが、感染症が流行したのはこれが初めてではないようです。むしろ何度も甚大な被害を被り、今なお苦しめられている人も少なくありません。

 

クマネズミから伝染したウイルスをノミが吸い込み、それを人間にうつしたことで大流行したペストは「黒死病」と呼ばれ、14世紀には欧州の人口の3分の1の命を奪ったとも言われる流行病となりました。このとき、ユダヤ人が病原菌を撒き散らしたというデマが流れ、各地でユダヤ人虐殺事件が起こりました。誤報により無関係な人間を傷つけるという人間心理は今も昔も変わっていないことを、今回の新型肺炎の騒動は教えてくれます。しかしながら労働人口が激減したことにより農奴解放が促進され、現在の資本主義の礎になるというプラスの作用ももたらしました。2017年にマダガスカルでペストの流行が確認され、年間約2,000人が死亡しているとも言われます。未だ根絶しているとは言い難い状況です。

 

WHOが根絶を宣言しているのは天然痘のみで、コレラもインドでは現在でも死亡原因の上位に挙げられていますし、スペイン風邪と言われ、当時の世界人口の4分の1が感染したと言われるインフルエンザは年を経るに従ってその形を変え、現在でも毎年世界中の人を悩ませています。

 

現在日本では自粛解除の動きが促進され、ようやく少しずつではありますが通常の生活を取り戻そうとしています。

しかし、完全に元どおりにはならないはずです。倒産している企業も少なからず出ていたり、学校の9月入学が検討されるなど生活様式の変化は大小問わず起こるでしょう。そして、2回目の流行は必ず起こるはずです。それまでに有効な治療手段が見つかるのかどうかは不透明で、再び世界が混乱する要素が大きいことは間違いありません。

 

こういう時こそ冷静になり、我々にできることを模索することが大切ではないか。今回の流行の際に起きたことや自分のとった行動を教訓にして、まずは自分の精神と身体を健康に保つ。そのうえで感染拡大を防ぐために自分のとるべき行動を探す。

 

元はといえば世界に存在していたウイルスを、人類が生活圏を拡げたがために人の生活にまで入り込ませてしまったのが原因です。

 

必要以上に怖がらず、かと言って軽く見ない。

 

以前にも書きましたが、ウイルスと共存する生き方を模索することが大切ではないかと僕は思います。

2020年05月21日 05:37

小学生・高校生の学習法#8

多くの地域で自粛が解除されはじめ、需要はもはやないかもしれませんが最後に小学生と高校生の学習法について書いてみます。

 

まず小学生の頃の遅れは、その気になれば中学で挽回可能だということを頭の片隅にでもおいておくとよいでしょう。難関私学や国立中学、中高一貫校の受験を希望される方を除けばわからない単元があってもそこまで気にする必要はありません。

 

ただ、しっかり取り組んでおけば中学校の学習にかなり有利になるものはあります。

 

それは何かというと、まず第一に漢字の読み書き。その次に文章を読む力です。いわゆる読解力ですね。3番目にいわゆる四則計算。たし算、ひき算、かけ算、わり算。そして分数と続きます。

 

今、会話する機会が激減していると思われますので、特に低学年はたくさん本を読むことが大切です。これはなにも難しい本を読まなくてはならないわけではなく、漫画でも絵本でもかまいません。漫画は漢字にはふりがながついているので、漢字の読みの学習にはうってつけです。学習という概念からは少し離れてしまいますが、友人や親戚などと電話はビデオ通話などで会話することもよいと思います。

 

高校生になるとかなり専門性が高くなり、偏差値ごとに学習内容やレベルが大きく異なるので難しいのですが、大学受験を念頭に置く人はスタディサプリを最大限に活用しましょう。東進のサイトには高校生向けに「今とっている講義を精一杯やりましょう」というメッセージが掲載されていました。この時に大切なのは自分なりにアレンジをしないこと。指定されているやり方で進めていくのが1番効果的な方法です。ただし、今までに自分なりの方法を見つけ、それで成績が向上している人はそのやり方を貫いてください。何をしたらわからないという人はとにかくひたすら英単語を覚えてください。入試制度が変わる年度ではありますが、要求される学力は大きく変わりません。スポーツ推薦を目指す高3生は特に、しっかり英語を勉強しておいて損はありません。2年生までに実績を積んでいる選手にはこれは当てはまりませんが、多くは3年生で大きく成績の積み上げを狙っていたはずなので、その機会が奪われた今、とにかく英語を勉強しましょう。

 

2年生までに実積をじゅうぶん積んでいる選手に関しては、今までの自分の成功体験や失敗から学んだことを作文にする練習をしましょう。言わずもがな、これは小論文対策につながります。原稿用紙の使用方法なども確認しておきましょう。意外と多いのが、マスから文字をはみ出す人。これは学校や学部によっては減点対象になりますので注意して書くようにする方が無難です。普段から気をつけて書かないと、当日だけ気をつければ良いと思っている人は当日も失敗するというのは実績を積んでいるアスリートなら理解してくれるはずです。

 

今回は年代別に学習法を書いてみました。この自粛期間があけたとしても、その後の自学自習に参考になる内容ではないかと思っています。

 

自らがのぞむ進路に歩を進めることができるように、今できることを精一杯取り組んでください。

2020年05月19日 08:20

感染列島#7

2009年公開 瀬々敬久監督、脚本

日本映画

 

このページでは、読書や映画鑑賞を趣味にしている教室長が皆様にご紹介したい本や映画の紹介をしていきます。

 

 

 

 

10年前の映画が、こんなにも身近に感じるものなのかというリアリティで描かれていました。

数値や惨状には若干の誇張は感じるものの、今回の新型ウイルス騒動において類似点がたくさん見られました。

誤った情報を断定的に報道するジャーナリストたち。そしてそれを鵜呑みにし、正義の名のもとに平気で人を傷つける人々。我先にと必要な物資を買い込み、安全だと思われる場所へ逃げ惑う市民。どれもこれも10年後を予見していたのではないかというリアルな内容でした。

しかしこういう時にこそ発揮する、人間の凄さもこの映画は見せてくれます。己の生命をも省みず、最前線で闘い続ける医療従事者の姿や、(おそらく静止を振り切って来たのであろう)自らの危険を冒してまで愛する人のもとに駆けつける若者の姿などは、とても美しく僕の目には映りました。

そして最後に感染症対策の責任者が残した『もし明日地球が滅びるとも、今日きみはリンゴの木を植える』という言葉は宗教改革で有名な神学者マルティン・ルターの言葉の主語を変えたものになります。つい先日動画サイト内で作陽高校柔道部監督の川野先生もこの言葉を引用されていました。とてもよい言葉ですよね。

リンゴというのはキリスト教では禁断の果実(それを口にすることで人類は知恵をつけた)とされ、その木を植える(後世に遺す)ということは後世にその知恵を伝えていくということ。

つまり、いつ終わりが来ようとも、きみは今できることを精一杯やり遂げることでしょうという最大の賛辞ではないかと僕は受け取りました。

僕も今自分にできることを精一杯、そして作中に出てきた教授が語った"撃退するのではなく、ウイルスと共生する社会"という考え方を持って、この何が起こるかわからない社会に立ち向かっていきたいと思います。

『感染列島』プレビュー動画
 

2020年05月16日 08:28

新型ウイルスがもたらすもの#6

今回の新型ウイルスの流行が与える教育業界、スポーツ業界への影響は非常に大きなものであり、今後我々は変わっていく必要があります。

 

政府主導で今まで進められてきたオンライン化が今後急ピッチで進められていくことに疑う余地はなく、現に学習塾では規模を問わず問わず多くの塾がオンライン授業を実施しています。

 

数年後を目標に政府が小学生、中学生全員にノートパソコンを支給するということを発表していたのも、きっと現在の教育スタイルの変革をねらってのことでしょう。現在この計画は前倒しする自治体も出てきています。

 

これからの未来に必要な力として『動画で学ぶことができる力』は、もはや避けては通れません。この機会を『動画で学ぶことができる力』を獲得する機会であると前向きにとらえ、この難しい局面を信頼できる人と手を取り合って乗り切ってほしいと思います。

 

疫病が歴史を変えるのは、今回が初めてではありません。

 

そしてそのたびに、人類は柔軟に適応して乗り越えてきました。

 

今回もきっとできるはず。

 

僕はそう信じています。

2020年05月14日 07:45

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