偉人伝・大谷吉継#15
参考文献
花ヶ前盛明著「大谷刑部のすべて」
山元泰生著「大谷吉継」
以前紹介した坂本龍馬、ナポレオンよりは知名度は劣るので、軽く説明しておきます。
大谷吉継は、戦国時代の武将であり豊臣秀吉の家臣、一国一城の主にまで出世を遂げた人物です。秀吉の天下統一までの道のりには欠かせない人物で、小田原征伐や九州平定、朝鮮出兵に至るまで重要な役割を担当します。
関ヶ原の合戦の西軍の将といえば、言わずと知れた石田三成。この石田三成と大谷吉継は親友であったという記録が残っています。2人とも計算能力が高く、豊臣秀吉存命中に一緒に仕事をすることが多かったことで友情を育んでいったようです。
その三成に、徳川家康を相手に兵を挙げようとしていることを打ち明けられます。大谷吉継は徳川家康とも親交があり、2人の器量の差も見抜いていました。三成は損得勘定をもって人を動かすのは上手だが、人徳というものは持ち合わせていない。徳川家康と対峙しても、おそらく勝ち目はない。吉継は何度も三成に踏みとどまるように説得します。
しかし思いは届かず、三成は挙兵することを決意する。ここで戦国時代の常識ならば、吉継は家康側につくのが普通です。しかし吉継は三成につくのです。
親友の気持ちを変えることができなかったのなら、せめてその気持ちを側で支えてやりたい。目を患い、病をかかえていた自分を受け入れてくれた友達を見捨てるわけにはいかなかった吉継は、現代の日本人が理想とする侍魂を持った人物であると、僕は思います。その後吉継は関ヶ原で自刃を遂げ、36年という短い生涯を閉じます。大河ドラマとかになっても画になりそうな人生です。
秀吉に重用され、一緒に湯治に行った記録が残っていたりするあたり、能力の高さは間違いのないところです。持病さえなければ、もっと活躍できたのではという学者も多いようです。能力もあり、眼力も持ち合わせ、それでも義理を貫き通した大谷吉継。現代の日本人は、彼にこそ学ぶべきところがたくさんあると、そう思います。